佐々木朗希投手は、令和の怪物といわれていますが、兄弟が3人いてそれぞれエピソードがあります。
佐々木朗希投手の子供の頃のエピソードや、父親や母親のことなどを紹介します。
佐々木朗希は3兄弟!
千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手は、日本のプロ野球史上最年少で完全試合を達成したことが話題になりました。
そんな佐々木朗希投手は令和の怪物といわれています。
佐々木朗希投手ですが、3人兄弟であることが分かっています。
岩手県陸前高田市で次男として生まれた佐々木朗希投手は、野外でずっと駆け回るような活発な少年だったそうです。
彼が陸前高田市立高田小学校の3年だった頃、地元のスポーツ少年団に所属していたお兄さんの影響を受けて、同じ少年団で野球をするようになりました。
野球を初めてから、兄や父親と練習に励んでいましたが、小学校4年に進級する直前の2011年3月に東日本大震災で被災しています。
地震による津波のため、父親と祖父母を亡くし、実家も流されるという不幸に見舞われました。
そんな災難にあいながらも、野球を続け、千葉ロッテマリーンズに入団した佐々木朗希投手は、男ばかりの3人兄弟の次男です。
震災で父親を亡くしたあとは、母親の陽子さんが保険の営業をしながら、3人の子供を育ててきました。
陽子さんは人当たりがよく、息子の活躍にも奢ることなく、謙虚でしっかりした美人のお母さんだといいます。
佐々木朗希投手の兄弟のそれぞれの名前は、長男は、佐々木琉希(りゅうき)さん、次男が佐々木朗希(ろうき)投手、三男が佐々木怜希(れいき)さんといいます。
それぞれ、名前に希望の『希』の字が入っていますが、父親が好きな文字だったのではないでしょうか?
兄弟3人とも珍しい名前なのですが、特に佐々木朗希さんの『朗希』という名前はかなり珍しく、その名前は長男の琉希さんが名付けたといいます。
佐々木朗希投手が生まれた頃、兄である琉希さんは、まだ3歳くらいだったはずですが、名前を付けることができたのが不思議ですよね。
『朗希』という名前は、『百獣戦隊ガオレンジャー』の敵キャラの狼鬼(ろうき)の名前から、当時3歳だった長男の琉希さんが付けたといいます。
なぜ、ヒーローの名前ではなく、悪役の名前なのか不思議に思ってしまいますが、『ろうき』という名前の響きが気に入ったからなのかもしれません。
さすがに、『狼鬼』のままではまずいと思ったのでしょうけれど、いろいろと考えて、琉希さんと同じ希望の『希』の字を入れて『朗希』にしたようですね。
母親も佐々木朗希投手の名前について、このテレビドラマを大人も見ていたからすんなりと入ってきたし、他人とかぶることがなくて良いと思ったとコメントしていました。
確かに、一度聞いたらなかなか忘れないような、とても良い名前ですよね!
佐々木朗希投手の兄の琉希さんは、現在(2023年7月)21歳の佐々木朗希投手よりも3歳年上ですから、24歳くらいでしょうか?
その琉希さんは、東日本大震災のときは12歳くらいでした。
琉希さんは、震災で亡くなった父親から厳しく育てられていたそうですが、その父親の代わりになって、次男の佐々木朗希投手に対し、厳しい躾をしてきたといいます。
また、三男である佐々木朗希投手の弟の怜希さんは、4歳年下ですから、現在(2023年7月)17歳くらいで高校2年生です。
高校は2人のお兄さんと同じ、大船渡高等学校で野球部に所属していて、内野手として活躍しています。
身長は177cmで体重は68kgだそうですから、兄の佐々木朗希投手よりはかなり華奢で小さめですが、高校生にしてはやはり高身長ですよね。
将来が楽しみだといえるのではないでしょうか?
佐々木朗希の兄は電通勤めって本当?
長男の琉希さんは、高校まで野球をしていたそうで、その影響で佐々木朗希投手は野球をするようになりました。
佐々木朗希投手も、野球については小さい頃から兄の琉希さんに負けないように頑張っていたとコメントしています。
琉希さんは、高校は大船渡高等学校に通っていた頃は、やはり野球部に所属し、4番打者だったそうです。
琉希さんは、高校卒業後は東北学院大学に進学し、大学卒業後は野球とは関係のない会社に勤務しているといわれています。
ある情報では、琉希さんは広告代理店の電通で働いているという噂があるのですが、残念ながら詳しいことは分かっていません。
佐々木朗希の兄弟エピソードや身長についても!
佐々木朗希投手は、兄の琉希さんが野球を始めた頃から、野球の真似をするようになりましたが、琉希さんによると朗希さんは、ボールの回転がめちゃくちゃ悪かったといいます。
今では考えられないのですが、コントロールも悪かったそうです。
そして、コーチから指摘されても、言う事を聞かなかったといい、琉希さんが矯正しようと厳しくすると、反発して喧嘩になることもあったそうです。
そんな佐々木朗希投手は、物静かで辛抱強い反面、負けず嫌いな性格だったといわれています。
そんな彼が高校に入るころは、レベルが上がって琉希さんは指導できなくなったそうです。
ただ、琉希さんはいつも「一番大変なのは母さんだぞ」と言い聞かせていたといいます。
それは、母親の陽子さんが毎朝早くから3人のお弁当を作り、ユニフォームを洗濯する姿を知っていたからでした。
琉希さんが、頑張っている母親を見ていて、その大変さとありがたさを身にしみていたのでしょう。
佐々木朗希投手は、身長が192cmとプロ野球選手の中でもかなり高身長ですが、亡くなった父親の功太さんも181cmあって、野球ではなくバスケットボールをやっていたそうです。
佐々木朗希投手の母親は、それほど身長が高いわけではなさそうですから、やはり父親に似て、身長が高くなったようですね。
佐々木朗希投手が千葉ロッテマリーンズに入団した頃は、身長が190cmと公表されていました。
しかし、プロになってから更に伸びたそうで、2020年10月には192cmになっています。
マリーンズに入ってから、佐々木朗希投手は身体強化と成長に重点を置いて栄養にも気をつけていたといいますから、その効果で身長も伸びたようだと本人も語っていました。
現在(2023年7月)はそれから2年経っていますから、まだ伸びている可能性もありますね。
佐々木朗希投手の兄も、朗希さんほどではないにしても、東北学院大学ではソフトボールのサークルに在籍し、身長も高くてカッコいいと有名だったそうです。
弟の怜希さんも180cm近くありますから、やはり父親の影響なのか3人とも身長が高いことが分かります。
まとめ:佐々木朗希は3兄弟!兄は電通勤めって本当?兄弟エピソードや身長についても!
今回は、佐々木朗希投手の兄弟が3人で、それぞれのエピソードや父親や母親のことなどを紹介しました。
・佐々木朗希投手の身長が高いのは父親の影響
・母親はしっかりした美人で、保険の営業をしていた
佐々木朗希投手は、これからますます期待がかかりますね!
最後までお読みいただきありがとうございました。