大谷翔平選手の専属通訳である水原一平さん。
水原一平さんは、父親の仕事の都合で6歳からアメリカに移住をしています。
水原一平さんの父親は、和食シェフでレストランで働いているそうです。
水原一平さんの父親が働いているレストランはアメリカのどこにあるのか、経歴についても調査しました!
2024/3/21 追記: 水原一平さんは2024年3月21日に大谷翔平選手の通訳を解雇されたことが明らかになりました。
目次
大谷翔平の通訳・水原一平の父のレストランはアメリカのどこ?
水原一平さんの父親が働いているレストランは、ロサンゼルスにある「たぬきの里」という日本料理店です。
ロサンゼルス郊外のトーランスにある「たぬきの里」。
「たぬきの里」は、ロサンゼルスで手打ちのうどんを食べることができるお店です。
冷凍のうどんではなく、手打ちのうどんが食べられることから、現地に住んでいる日本人にも親しまれているお店です。
ロサンゼルスで手打ちのうどんが食べることができる飲食店は、非常に珍しいのだとか。
もともと「たぬきの里」は、「さぬきの里」という店名でしたが、数年前に店名を変えたようです。
「たぬきの里」では、手打ちのうどん以外にも、お刺身や天ぷらなどもあります。
天ぷらは、現地の人にも評判のメニューなのだそうです。
とても美味しそうですね!
大谷翔平の通訳・水原一平の父の経歴は?
水原一平さんの父親の経歴について紹介します。
- 16歳でアメリカに留学。
- 17歳でカナダに留学。
- 19歳の時に実家のお寿司屋さんで働き始める。
- 1991年に水原一平さんを含めた家族でアメリカ・ロサンゼルスに移住。
- アメリカ・ロサンゼルスで和食レストランのシェフとして働く。
- 2016年日本ハムファイターズのアリゾナキャンプで食事を担当する。
水原英政さんは、北海道苫小牧市生まれです。
16歳には、アメリカへ留学し、17歳にはカナダで留学をしています。
アメリカに留学中は、カルフォルニアのサウスウェスタンアカデミー高に在籍していました。
サウスウェスタン アカデミー高に在学中は、野球部に所属していた水原英政さん。
野球部では、7回17奪三振の見事な成績を納め、ロサンゼルスのタイムズ紙に水原英政さんが取り上げられたこともあります。
日本に帰国後は、アイスホッケーの選手として活躍をします。
水原英政さんは、アイスホッケー日本リーグの岩倉組に所属をしていました。
そして、腰を痛めてしまったことでアイスホッケーの選手を引退した水原一平さん。
アイスホッケーの選手を引退後は、19歳で実家のお寿司屋さんで働き始めます。
水原英政さんも、もともと野球をやっていたのですね!
野球だけではなく、アイスホッケーの選手としても活躍された水原英政さんは、とても運動神経がいいのでしょうね。
水原英政さんは、大谷翔平選手と同様に野球とアイスホッケーで元二刀流の選手でした。
19歳から13年間実家のお寿司屋さんで働いていた水原英政さんは、1991年にアメリカの友人に誘われて、家族でロサンゼルスに移住をします。
1991年当時、水原一平さんは6歳でした。
ロサンゼルスに移住後は、和食レストランで働きます。
2016年には、日本ハムファイターズのアリゾナキャンプの食事担当となった水原英政さん。
水原英政さんがアリゾナキャンプの食事担当になったきっかけは、息子である水原一平さんが日本ハムファイターズの球団通訳として勤めていたからです。
球団側から食事担当をしてほしいと水原英政さんにオファーをしたそうです。
アリゾナキャンプの食事を担当している期間は、本業である「たぬきの里」は有給休暇を取得しています。
選手たちの食事を週に5日用意し、食事担当の指揮をとっていた水原英政さん。
早朝の5時から21時までと食事担当としての勤務時間は長く、4時間寝ることができれば良い方だったとか。
キャンプ期間の2週間のため、勤務先を休み、元同僚のシェフら7人態勢で乗り込んだ。休日2日を除いて朝は午前5時から、夜は午後9時までと一日は長く「4時間眠れたらいい方」だったという。
選手たちがメニューに飽きてしまわないように毎日メニューを変更し、調理の仕方を変えるなどさまざまな工夫を凝らしたそうです。
こだわりは飽きさせないこと。同じ肉でも「焼く、揚げる、煮る」と工夫をこらした。普段から日本の新聞で選手が好みそうな料理を情報収集。「選手は何が好きかを拾ってメニューを考えた」という。
日本ハムファイターズの球団からの要望にもしっかり応えていた水原英政さん。
毎食に必ず野菜、フルーツを用意する要望にも応え、10種類のサラダに納豆、漬物は必ず用意していたそうです。
【野菜、フルーツ】球団の要望もあり、メニューに納豆、10種類のサラダ、漬物は必ず用意する。
納豆や漬物は、日本であれば簡単に手に入るものですが、アリゾナで、しかも大人数の納豆と漬物を用意することは容易なことではなかったはずです。
それでも水原英政さんは、毎食に必ず納豆と漬物を用意することができたのは、1991年からアメリカの和食レストランで勤務していた経験が役に立ったのかもしれませんね。
水原英政さんは、食事で選手を支え、息子の水原一平さんは、通訳、選手の身の回りのサポートと親子で日本ハムファイターズの選手たちを支えていたことがわかります。
水原英政さん自身も、野球をしていた経験もあるので、選手たちの気持ちや、食の好みも熟知しているのでしょうね。
そして、水原一平さんが通訳としてだけではなく、選手たちのサポートまでしていることは、きっと父親である水原英政さんの影響でしょう。
まとめ:大谷翔平の通訳・水原一平の父のレストランはアメリカのどこ?和食シェフで経歴なども調査!
大谷翔平選手の専属通訳・水原一平さんの父親のレストランについてと経歴について調査しました。
水原一平さんの父親・水原英政さんは、
・ロサンゼルスにある、「たぬきの里」で勤務している。
・16、17歳で留学経験があり、野球もしていた。
・日本に帰国後は、アイスホッケーの選手として活躍。
・腰痛が悪化したため、アイスホッケー選手は引退。
・引退後は、19歳から実家のお寿司屋さんで働く。
・1991年に友人に誘われ、家族そろってアメリカへ移住。
・2016年に息子・水原一平さんが、日本ハムファイターズの球団通訳として働いていたことがきっかけでアリゾナキャンプの食事担当になる。
・アリゾナキャンプの食事担当の指揮をとっていた。
・選手たちが飽きないようにメニューを工夫したり、食材の調達も行っていた。
・16、17歳で留学経験があり、野球もしていた。
・日本に帰国後は、アイスホッケーの選手として活躍。
・腰痛が悪化したため、アイスホッケー選手は引退。
・引退後は、19歳から実家のお寿司屋さんで働く。
・1991年に友人に誘われ、家族そろってアメリカへ移住。
・2016年に息子・水原一平さんが、日本ハムファイターズの球団通訳として働いていたことがきっかけでアリゾナキャンプの食事担当になる。
・アリゾナキャンプの食事担当の指揮をとっていた。
・選手たちが飽きないようにメニューを工夫したり、食材の調達も行っていた。
水原英政さんは、息子である一平さんと同じように日本ハムファイターズの選手たちを支えていたことが分かりました。
それぞれ別の方法ですが、親子揃って選手たちを支えているなんて素敵なことですよね。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございます。