俳優の塩野瑛久(しおの あきひさ)さんは、高校には進学せずに中卒です。
生い立ちが壮絶すぎると言われている塩野瑛久さんですが、実は実家を継ぐために中卒という噂もあります。
塩野瑛久さんの生い立ちについてや、中卒の理由、実家について調査しました!
塩野瑛久の生い立ちが壮絶すぎる!
塩野瑛久さんの生い立ちが壮絶すぎると言われているのは、中卒であることが理由にあります。
今は、中学校を卒業するとほとんどの人が当たり前のように高校へ進学しますよね。
ですが、塩野瑛久さんの最終学歴は中学校卒業です。
中卒となると、塩野瑛久さんの家庭に何か問題があったのはと思うことでしょう。
塩野瑛久さんの家族構成は、父、母、姉2人の5人家族です。
・母親
・長女
・次女
・長男:塩野瑛久さん
昔は特にやりたいこともなく、高校にも進学せずに実家のクレープ屋を手伝っていました。はっきり言ってちゃらんぽらんだったんです.。
塩野瑛久は実家を継ぐために中卒?
父が倒れてしまって、サポートという形で中学卒業してから働いていたんです。
塩野瑛久さんの実家のクレープ屋さんは、「クレープ・アン」というお店です。
塩野瑛久さんも自身の公式Twitterで「クレープ・アン」は実家のクレープ屋さんであることを公表しています。
伝えそびれました( ;∀;)
西八王子に「クレープ・アン」というクレープ屋さんがあるので今度帰った時は是非行ってみてください!僕そこの息子です!— 塩野瑛久 (@akihisa_shiono) June 8, 2019
「クレープ・アン」は、東京都に2店舗、神奈川県に1店舗と3店舗もあります。
・東京都町田市小山町766-6
・東京都八王子市台町4-46-5
・神奈川県相模原市中央区中央区千代田6-3-28
「クレープ・アン」は、生クリームにこだわっていて、生クリームは自家製なのだそうです。
「クレープ・アン」の自家製生クリームに、自家製のプリン、自家製のアイスが入った、「プリン&アイス生クリーム」は自慢の一品なのだとか。
メニューも150種類と沢山あって美味しそうです!
塩野瑛久の父親が脳卒中で経営危機?
塩野瑛久さんの父親は、2007年9月に脳卒中で倒れています。
2007年当時は、塩野瑛久さんが中学1年生の時でした。
2007年9月に倒れ障害者に
そこが大きなターニングポイントかもしれません
突然の脳出血であの世へ行ってたかもしれません
だから息子には学歴にこだわらず
好きなことをやって欲しいという思いに
突き動かされていました
塩野瑛久さんの実家のクレープ屋は、1983年からスタートし、父親が倒れた2007年当時は、創業30周年まであと少しというところでした。
塩野瑛久さんの父親は、学歴にはこだわらないから自分の好きなことをしてほしいと塩野瑛久さんにも伝えたようですね。
塩野瑛久さん自身も父親が突然脳卒中で倒れたことがきっかけで、自分が本当にやりたいことは何か考えたことでしょう。
実は、塩野瑛久さんが実家のクレープ屋さんを手伝うことになったのは、父親からのアドバイスでもあるようです。
中学卒業してブラブラしてるなら
ファッションやヘアーに熱くなっているのを見て
ヘアーデザイナーやモデルに興味があるなら
ここで働いて自分のやりたいことを勧めました
高校へ進学をすることよりも、実家のクレープ屋さんを手伝いたいという気持ちの方が大きかったようですね。
2023年3月現在では、「クレープ・アン」は、1983年の開店から創業40周年を迎え、3店舗を構えるほどになりました。
これも塩野瑛久さんが高校には進学せずに、父親の代わりになって「クレープ・アン」で働いたことも大きな要因です。
「クレープ・アン」の店舗には、塩野瑛久さんのポスターにサインもあります。
「クレープ・アン」は、塩野瑛久さんのファンには聖地になっているようです。
塩野瑛久さんが考案したクレープまで食べられるなんて、ファンにとっては堪りませんね!
もともとモデルの仕事に興味があった塩野瑛久さんは、実家のクレープ屋さんを手伝いながら自分を売り込みに行っていたようです。
ある雑誌の読者モデルに
自分から編集長に売り込みに行ってました
ヘアーモデルにもなって
自分から動き回って生き生きしているのを見て
これだ!好きな世界こそ
自分の生きる道では
2011年には、「クレープ・アン」のお客さんと母親からジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募をしてみないかと提案をされます。
『息子さん見たわよ、応募させてみたらどう』って、お客さんが“ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト”を母に提案してくれたことが芸能界に入るきっかけになりました
塩野瑛久さんが応募した、第24回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでは、審査員特別賞とAOKI賞を受賞します。
ジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募をした2011年当時は、塩野瑛久さんは16歳でした。
16歳といえば、高校に進学をしていたら高校1年生の年です。
塩野瑛久さんの家族は、家族全員とお客さんにも協力をしてもらって塩野瑛久さんを応援したそうです。
ジュノンボーイにも応募して
お店での売り込みなど
高校に行ってれば友達の応援も多いだろうが
そのマイナスを
家族みんなでバックアップしたり
私の友人にも頼んだり
お客さんにも頼んだり
芸能界に入る前から、多くの人と感動させたいという気持ちがあった塩野瑛久さん。
映画やドラマを観るのが好きで、自分も多くの人を感動させたいと漠然と考えていた
引用元:塩野 瑛久さん | テレビのスーパー戦隊シリーズ「獣電戦隊キョウリュウジャー」グリーン役を好演する | さがみはら中央区 | タウンニュース (townnews.co.jp)
ジュノン・スーパーボーイ・コンテストの審査が進むにつれ、漠然と考えていた気持ちが、俳優を志す気持ちへと変化したそうです。
ベスト30に残ると「ここにかけるしかない」と決心。実家のクレープ屋を手伝うだけの日常から、本気で俳優を志した瞬間だった。
引用元:塩野 瑛久さん | テレビのスーパー戦隊シリーズ「獣電戦隊キョウリュウジャー」グリーン役を好演する | さがみはら中央区 | タウンニュース (townnews.co.jp)
ジュノン・スーパーボーイ・コンテストでダブル受賞ができたのは、姉のおかげでもあるとインタビューで語っていた塩野瑛久さん。
いちばん大きかったのは、書類用に姉がいい写真を撮ってくれたことだと思っています! 茶髪だった髪を黒染めして、爽やかなイメージに仕上げてくれて。受賞できたのは、その1枚のおかげといっても過言じゃないですね
塩野瑛久さんが高校に進学をせずに実家のクレープ屋さんの手伝いをしたことで、芸能界入りのきっかけとなり、クレープ屋さんも現在も繁盛しているお店となりました。
もし、塩野瑛久さんが高校に進学をしていたとしたら、実家のクレープ屋さんは現在も存在していなかったかもしれませんし、塩野瑛久さんも芸能界に入っていなかったかもしれませんね。
そう考えると、やりたいことが見つからないから実家のクレープ屋さんを手伝うことを決めた塩野瑛久さんの選択は間違ってはいませんでしたね!
まとめ:塩野瑛久の生い立ちが壮絶すぎる!実家を継ぐために中卒?
塩野瑛久さんが中卒の理由は、
・家業のクレープ屋の手伝いをするため。
・塩野瑛久さんの実家のクレープ屋さんの名前は、「クレープ・アン」。
・「クレープ・アン」は、東京都に2店舗、神奈川県に1店舗の3店舗ある。
・「クレープ・アン」のこだわりは、自家製の生クリームで、塩野瑛久さんのファンの聖地にもなっている。
・父親の代わりに「クレープ・アン」で仕事をしたことがきっかけで2011年にジュノン・スーパーボーイ・コンテストに応募をし、芸能界入りとなる。
塩野瑛久さんは、家族思いの人であることが分かりました。
塩野瑛久さんが芸能界に入ることができたのも、家族のサポートが大きいです。
塩野瑛久さんと家族の強い絆を感じられました。
これからの塩野瑛久さんの活躍で「クレープ・アン」ももっと繁盛しそうですね!
最後までご覧になってくださり、ありがとうございます。